切手の話
2017年 12月 27日
東京生活をスタートさせてちょうど一年となった。気づけば厚手のコートに袖を通しているのに冬になったという実感がわきにくいのは、日本の空気が北京と比べて澄んでいるからだろうか(注意:ただし今年の北京は例年と違い、汚染されておらず、澄んだ青空が広がる日が多いという)
家と会社の往復に限って言えば、さすがにもう新鮮な驚きに出くわすことは少ない。だが日本での違和感や息苦しさというのは、やはりときどき私の前にふらりと顔を見せる。
今回顔を出した息苦しさは、コンビニという日常のシーンで登場した。
半年以上前に、コンビニで切手を1枚買った時、女性店員さんから「すぐ使いますか?」と聞かれ、「はい」と答えると、きっての裏側を水で濡らしてくれた。なんて細やかなサービスなのだろう、マニュアルからではない彼女自身の気の利かせ方に、サービス大国日本の底力を見せつけられた気がした。
昨日もまた切手が必要となり、仕事帰りにコンビニへ。
私が立ち寄ったコンビニは、2か月ほど前にオープンした比較的新しいコンビニで、オープン直後は大勢の外国人アルバイトが、慣れない手つきと言葉で作業に励んでいた。
私が店の入り口からまっすぐレジに向かうと、すぐに一人のレジ係が声をかけてくれた。「いらっしゃいませ」
声のする方に引き寄せられるように近づいた。
「郵便切手をください」
店員は何も言わず、私に背を向け、後ろの作業台に近づき切手の入ったトレーをそのまま持ってきた。
名札を見ると東南アジア系の名前が記されていた。
「82円の切手を1枚お願いします」
彼の動作や言葉に何ら問題はない。だが、私は無意識に、教科書を読むように、はっきりとした口調で正確に注文した。このコンビニにはまだ言葉に不慣れな店員が多いという潜在意識が働いたのだろう。
「袋に入れますか?」
「あ、はい、お願いします」
82円の切手を一枚切り取り、小さな専用のビニール袋に入れようとする店員の彼。
切手を袋に入れ終わると口の部分を胴の部分に向けて折り返し、テープで止めた。
「あっ」
微かな声が漏れた。
声の主は、いつの間にか彼の後ろに立って彼の様子を観察していた日本人店員だった。胸の名札には名前の他にマネジャーの肩書と3つ星が印刷されていた。
私は82円ちょうどと引き換えに、きちんと封をされた切手を受け取った。改めて店員の彼の名札を見ると星は1つだった。
私がレジを立ち去る時に背中の方で、マネジャーが1つ星店員の彼に「封をしなくていいから」という旨を指導する声がとぎれとぎれに聞こえた。
コンビニのマニュアルでは、切手用の袋には封をしないことになっているのだ。きっと。
切手専用の袋と薄っぺらい切手は摩擦係数が大きいので、袋の口を封しなくても滅多なことでは切手が外に飛び出すようなことはないのだ。
気の毒に、(私にとっては)こんなどうでもいいようなことで、1つ星店員は指導されてしまった。私は彼に申し訳ないことをしてしまった気がした。
目的は袋から切手がこぼれ落ちないようにすることだ。このコンビニで使われたビニール袋は切手専用の袋だったので、封をしなくても切手が外に飛び出すことはない。それゆえ、今回の1つ星店員の彼のように、良かれと思って封をしてしまうと、逆に「過剰」が発生する。つまり、購入者が切手を取り出す時に、「わざわざテープをはがさなければならない」という「手間」となってしまうのだ。日本人のマネジャーはそう判断して1つ星店員の彼を指導したのだ。あるいはマニュアルを順守するという気持ちがそうさせたのか。
マネジャーが1つ星店員の彼を指導した真の意図はわからないが、1つ星の彼にも考えるチャンスや一つ一つの経験を蓄積する時間を与えて欲しかった。マニュアルで縛ってしまうのは簡単、マネジャーの思うとおりに「やらせる」のも簡単。でも、枠の中に嵌めて想像の余地を奪ってしまうことには大反対だ。
融通の利かなさに出合うたびに、時々この国で暮らす息苦しさを感じるのだった。
# by leatong | 2017-12-27 12:06 | リートンな日々