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切手の話

東京生活をスタートさせてちょうど一年となった。気づけば厚手のコートに袖を通しているのに冬になったという実感がわきにくいのは、日本の空気が北京と比べて澄んでいるからだろうか(注意:ただし今年の北京は例年と違い、汚染されておらず、澄んだ青空が広がる日が多いという)

家と会社の往復に限って言えば、さすがにもう新鮮な驚きに出くわすことは少ない。だが日本での違和感や息苦しさというのは、やはりときどき私の前にふらりと顔を見せる。

今回顔を出した息苦しさは、コンビニという日常のシーンで登場した。

半年以上前に、コンビニで切手を1枚買った時、女性店員さんから「すぐ使いますか?」と聞かれ、「はい」と答えると、きっての裏側を水で濡らしてくれた。なんて細やかなサービスなのだろう、マニュアルからではない彼女自身の気の利かせ方に、サービス大国日本の底力を見せつけられた気がした。

昨日もまた切手が必要となり、仕事帰りにコンビニへ。

私が立ち寄ったコンビニは、2か月ほど前にオープンした比較的新しいコンビニで、オープン直後は大勢の外国人アルバイトが、慣れない手つきと言葉で作業に励んでいた。

私が店の入り口からまっすぐレジに向かうと、すぐに一人のレジ係が声をかけてくれた。「いらっしゃいませ」

声のする方に引き寄せられるように近づいた。

「郵便切手をください」

店員は何も言わず、私に背を向け、後ろの作業台に近づき切手の入ったトレーをそのまま持ってきた。

名札を見ると東南アジア系の名前が記されていた。

82円の切手を1枚お願いします」

彼の動作や言葉に何ら問題はない。だが、私は無意識に、教科書を読むように、はっきりとした口調で正確に注文した。このコンビニにはまだ言葉に不慣れな店員が多いという潜在意識が働いたのだろう。

「袋に入れますか?」

「あ、はい、お願いします」

82円の切手を一枚切り取り、小さな専用のビニール袋に入れようとする店員の彼。

切手を袋に入れ終わると口の部分を胴の部分に向けて折り返し、テープで止めた。

「あっ」

微かな声が漏れた。

声の主は、いつの間にか彼の後ろに立って彼の様子を観察していた日本人店員だった。胸の名札には名前の他にマネジャーの肩書と3つ星が印刷されていた。

私は82円ちょうどと引き換えに、きちんと封をされた切手を受け取った。改めて店員の彼の名札を見ると星は1つだった。

私がレジを立ち去る時に背中の方で、マネジャーが1つ星店員の彼に「封をしなくていいから」という旨を指導する声がとぎれとぎれに聞こえた。

コンビニのマニュアルでは、切手用の袋には封をしないことになっているのだ。きっと。

切手専用の袋と薄っぺらい切手は摩擦係数が大きいので、袋の口を封しなくても滅多なことでは切手が外に飛び出すようなことはないのだ。

気の毒に、(私にとっては)こんなどうでもいいようなことで、1つ星店員は指導されてしまった。私は彼に申し訳ないことをしてしまった気がした。

目的は袋から切手がこぼれ落ちないようにすることだ。このコンビニで使われたビニール袋は切手専用の袋だったので、封をしなくても切手が外に飛び出すことはない。それゆえ、今回の1つ星店員の彼のように、良かれと思って封をしてしまうと、逆に「過剰」が発生する。つまり、購入者が切手を取り出す時に、「わざわざテープをはがさなければならない」という「手間」となってしまうのだ。日本人のマネジャーはそう判断して1つ星店員の彼を指導したのだ。あるいはマニュアルを順守するという気持ちがそうさせたのか。

マネジャーが1つ星店員の彼を指導した真の意図はわからないが、1つ星の彼にも考えるチャンスや一つ一つの経験を蓄積する時間を与えて欲しかった。マニュアルで縛ってしまうのは簡単、マネジャーの思うとおりに「やらせる」のも簡単。でも、枠の中に嵌めて想像の余地を奪ってしまうことには大反対だ。

融通の利かなさに出合うたびに、時々この国で暮らす息苦しさを感じるのだった。




# by leatong | 2017-12-27 12:06 | リートンな日々  

私が100円のペンから卒業する日

中国で編集者として活動していたころ、筆記用具、特にペンにはささやかなこだわりを持っていた。
紙に沈みこむように書ける柔らかいボールペンも筆圧の高い私には適していたのだが、
滑るようにスラスラと線が引けるジェルインキにより傾倒していた。
使っているペンのインキが少なくなってくると、文房具屋や市場などに行き
黒6、青4、赤2くらいの割合で1ダース分、まとめ買いをよくしていた。

今でこそ中国でも、日本のパイロットや、イタリアのモレスキンなどの文具が手に入るようになったが、
私が留学をし、その後すぐに仕事を始めた15年ほど前は、中国の文具は「レトロ感満載」だった。

マークシート回答式の試験用に備えて買った鉛筆は、
深緑の軸に金色で細く中華人民共和国と刻印されていて、
いかにも中国の文房具といった感じだった。

大学の先生から指定されたノートは、
藁半紙か再生紙に近い、ざらっとした感覚で、一枚一枚が薄くペラペラのものだった。

就職してからも身の回りの文具は「ちょっとこれは」と閉口してしまうものが少なくなかった。

ボールペンは、ペン先のボールがスムーズに動かず最後まで使いきれない。

蛍光ペンはキャップを取ったまましばらくゲラをチェックしていると
すぐに乾燥(これはペンのせいというより、乾燥が激しい北京の気候が原因か?)。

ホッチキスは日本で使っていたものよりも大型で針の芯が太いのに、
ガチャンと押すと芯が曲がり一発で止めるのに苦労した。

交通費精算時に領収書を貼る(この作業自体も時代を感じるが)ため、
総務担当者に糊を借りたら渡されたのが水糊で、
「おぉっ、なんかこういうのって幼稚園の頃に使っていたかも」と遠い記憶を手繰り寄せたこともあった。

これらの文具を「キッチュな雑貨」として収集するだけならいいのだが、
実際に使うとなると小さなストレスを溜めてしまうものが多かった。

中国の名誉のために付け加えておくと、10数年前でももちろん、
日本で使っていたのと同じような文具、たとえばコクヨの消しピタのような
修正テープや付箋などはあった。だが、質が追いついていないか、
安定していなかったのが、残念だった(今では随分解消されているはずだ)。

その後私は、こうした小さなストレスに対抗するため、年に一度の帰省の際に、
様々な種類や色のジェルインキを大量に買って帰るという手段をとり不便さを解消していった。

さて話を現在に戻そう。

この1、2か月、ありがたいことに取材活動も増えてきた。インタビューではICレコーダーを回しつつも、レコーダーをあまり信用していない私は、ノートを開いてペンを走らせる(後からノートを見ると自分でも判別できないような文字が踊っていて、結局は録音を聞き直すことになるのだが)。

手に持ったペンはどこの文房具屋でも売っている100円程度のジェルインキのペン。個人的にはずっとこのタイプのペンを「書き心地最高!」と信じて使い続けているのだが、今回久しぶりに日本に戻り、100円のペンでメモを取ることに、小さな、本当に小さな疑問がわきあがった。

今回の取材対象者が、たまたま、大企業の役職が上の方であったり、
紙やペンといったアナログな世界をとうに卒業したデジタル最前線の方であったりしたことが、
疑問を感じた原因だったのかもしれない。

別に、使う道具によって文章の良し悪しが決まるわけではないのだろうが、
取材される側に私はどう映っているのだろうか。一対一の取材の場に限らず、
合同取材の場でもそうだ。周りの記者たちは皆ノートPCを叩いているのに、
私は相変わらずノートを開き手が痛くなるほどメモを取り続けている。
「この人本当に大丈夫?」と相手に不安を覚えさせてはいまいかと、今更ながら思う。

インタビューという真剣勝負の場で、スーツでビジネスバッグを提げている人と、
普段着でリュックを背負っている人がいたとする。どちらの話に耳を傾けるかといえば、
残念ながら今のところは前者の方が有利なのかもしれない。

私自身はスーツを着るわけでもなくビジネスバッグを提げているわけでもない。
中国にいた頃は、スーツ文化がそれほど重視されていない時代や人々との関わりの中で、
なおかつ外国人として仕事をしていたので、それがオブラートととなり、
見た目を気にしたことはなかった。だが今回日本に戻り、
相手と対等な関係で話を持っていく、或は相手からより有益な話を引き出すためには、
100円のペンよりも1000円のペン、カジュアルな服装よりもスーツ姿で
「変装」をすることが、時には必要なのだと感じた。

先日、取材で愛用中のノートが残り少なくなったので買いに出かけた。
そのついでにペンコーナーものぞいてみた。
愛用している100円のペンは相変わらず私に微笑みかけてくれる(ような気がする)。
その周囲には1300円、500円、1000円~のペンが並ぶ。さすがに見た目には高級感が宿る。
こういうペンを持って取材に挑めば、さぞデキル人に見えるのだろうなと、容易に想像はつく。

ラックから一本ペンを抜き取り、試し書きをする。

手に持った時の重み、紙との摩擦を何種類も確かめる。

慣れというものもあるのかもしれないが、どうしても100円のペンが1000円のペンに劣っているとは思えない。

100円のペンを使う快適さを上回るほどのメリットを、この1000円のペンは約束してくれるのだろうか。
ペン売り場でしばし途方に暮れてしまった私なのだった。




# by leatong | 2017-12-25 11:09 | リートンな日々  

「小さく前へ倣え」問題について

最近、懐かしい言葉を耳にした。

私は東京に来てからも、北京で長くそうであったように

(目標)週3回近所のフィットネスジムに通っている。

私の通うジムには、場所柄なのかどうなのかよく分からないが、

日本の老若男女の会員の他にも中国・韓国そして時々欧米の会員が在籍している。

外国人メンバーの在籍率は、感覚だがざっと見積もっても10%はいると思う。

そんなメンバーと黙々と汗を流すのだが、私はいつもスタジオプログラムに参加する。なぜなら、これも北京でいたころから変わらないのだが、一人黙々とランニングマシーンや筋トレマシーンに対峙しているとすぐに飽きるからだ。大勢で一緒に音楽に合わせて動いているとあっという間に時間が過ぎしっかりと汗をかくことができる。もちろん、一緒に動くとはいえ、空間を同じくしているだけで、私も含めてみな自分の世界に浸ってレッスンを受けている。決して隣り合う人とおしゃべりしたり、ハイタッチをして励まし合ったりはしない。

「はい、“小さく前へ倣え”みたいな感じで」

その言葉は、その日のスタジオプログラムの最中に飛び込んできた。

私が参加していたのは、ボディパンプというバーベルにプラスチックの重りをつけて、音楽に合わせて身体全体の筋肉を引き締めていくクラス。

細マッチョなインストラクターA先生は、美しく鍛え上げられた筋肉に血管を浮かび上がらせながら、リードカウントをとったり正しい動きの説明をしたりする。そしてプログラムの終盤、上腕二頭筋を鍛える動きをする際に、A先生の口から発せられたのが「小さく前へ倣え、みたいな感じで」という言葉だったのだ。

……な、懐かしすぎるぜ、A先生。

「小さく前へ倣え」は小学生の頃よく耳にした。
朝の朝礼や集会、普段の体育の授業で人が大勢集まった際などに、クラスごとに児童を真っすぐ整列させ場に秩序をもたらすために大人たちが編み出した言葉だ。

腕を肩の高さへ真っすぐあげるのが「前へ倣え」で、「小さく前へ倣え」はその応用編(?)、

腕を脇にくっつけて肘から先を地面と平行にあげる。自分とその前の人の頭がかぶるように並ぶと一直線が完成。ちなみに先頭の児童(たいていはクラスで一番背が低い児童)は

「(小さく)前へ倣え」の号令が出ると両手を腰に当てていたような気がする。「エッヘン」みたいに威張るような恰好となり、今思うとなんだか無性に恥ずかしいポーズだ。(それを恥ずかしいと思わずにできたのが若さからくる素直さなのだろう。)

小学校の時には毎日のように聞かされていたこの「(小さく)前へ倣え」が時を経てここ大都会東京の地で再び出会うことになるとは。若いA先生にとってはそうでもないかもしれないが、私にとってはかれこれ30年くらい使っていない記憶の引き出しの奥の奥にしまい込んであった言葉。ここで耳にしなかったら、もう一生発見されることがなかっただろう。

また、この「小さく前へ倣え」が実は全国的に流布している言葉だった、ということもA先生によってもたらされた発見だった。「小さく前へ倣え」のような、今から思えば“特殊な用語”はてっきり私が通っていた小学校の先生が発明した言葉だと思っていた(子供のころの世界観ってそんなもんよね)。まさか全国区で使われている言葉だったということを、私はこの時、生まれて初めて認識したのだった。

しかし、この「小さく前へ倣え」をこのフィットネスクラブで使うのはどうなのか?

もちろん、A先生の説明は間違っていない。私達メンバーが取るべき正しい姿勢の説明をするのに「小さく前へ倣え」はこれ以上ないくらいぴったりの言葉だ。しかし私は2つの点において違和感を覚えた。

私たちが今まさに汗を流しているプログラムは、一応、世界共通の最新プログラム。そんな最先端な動きに、時計のねじが壊れるほどぐるぐる巻き戻した言葉を使うというアンバランスさはどうなのか、ということ。もう一つは、一緒にレッスンしている少なくない外国人は「小さく前へ倣え」は通じないのでは?ということ。もちろん仮にレッスンに参加している外国人メンバーが日本語をそれほど解さなかったとしても、見様見真似でやればついていけるのだが、同じ文化背景を持っていない外国人にとって「小さく前へ倣え」は割とハードルの高い言葉なのではなかろうか。

それで思い出したのが、「にじゅうまる事件」だ。

かつて私がフリーペーパーの制作で糊口をしのいでいた時、周りの多国籍な人たちを特集したことがある。

日本人とのハーフの子供、外国人だけど日本語もなぜかべらべらで中国滞在歴も異常に長いトライリンガル、日本人だけど中国の現地校で中国の教育を受けている子供など、当時私の知り合いに頼み込んで取材させてもらい、いろんな角度から言葉の習得について特集をした記憶がある。

その取材の際、対象者に各言語について調査した。

調査は簡単で、空欄の表を用意して、その人が少しでもできる言語を縦に並べる。横の欄には、それぞれ読む・聞く・話すと書きみ、それぞれの言語がどの程度できるかを自己申告で埋めてもらうことにした。

「できる程度の高い物から順に二重丸、丸、三角、バツを記号で記入してください」と調査票を渡すと、ある男性の手が止まってしまった。そうして空欄に書き始めたのは「20〇」という数字と記号。

彼の思考を止めてしまったのは、私が発した「ニジュウマル」という言葉。

目で見れば、丸が二重に重なっているので◎とすぐにわかってくれただろう。しかしその形状は理解できても、さらに「◎=エクセレント」を表すということを彼は知らなかった(に違いない)。

「◎」が日本語の文章中において「大変良い」とか「とても良い」のような意味を持つのは、これもまた日本の小学生時代の体験に関連しているのではないかと想像できる。

学期末に配られる忌まわしい通知表。私が通っていた小学校では「三十丸」か「二重丸」かただの「丸」の3段階評価だった。

PCで三十丸の記号が出せないのでここではすべて漢字で表記したが、実際の通知表には〇が重なったり重ならなかったりするハンコがポンポン押され、毎回、三重丸の数を数えて一喜一憂したものだった。

そうした原体験があるため、私たち日本人には、「丸は重なれば重なるほど良い」という文化的価値観が生まれ醸造されてきたのだろう。

若い女の子が読むファッション誌など軽めの文章では、時々文末に「~~~するのも◎」のように表現されていることもある。文字数が制限されている場合とても使いやすい(私もそういう表現を使ったことはある。)だが「◎=エクセレント」は必ずしも世界共通記号ではないかもしれない。先の彼にはバツの悪い若い思いをさせてしまった。文化の違いということをしみじみと感じた瞬間だった。

意識はしていないが、こういった例はまだまだたくさんある。学級委員の投票結果を「正」の文字で数えていく方法は、同じ漢字文化圏である中国では通用する(し、中国でもそういう数え方をしていたような気がする)だろうが、そうではない欧米ではどうやって数えるのだろう。前へ倣えも、確か欧米では体育の授業などではそもそも一直線に並ばず先生を囲むとかなんとか(違っていたらごめんなさい)。言葉でも、外国語に訳せない言葉(「おもてなし」なんてその典型的な例だと思っている)、逆に外国語から日本語に訳せない言葉はたくさんある。

そういった言葉や言動、現象に出合った時に、ああ文化が違うのだと改めて実感する。

今東京で様々な国の人と関わる仕事をしている。時々、文化の違い感覚の違いにドッキリさせられることもあるが、それぞれの文化の狭間で、次は何をやらかしてくれるのか、何をやらかされるのか、新しい価値観と出合えることは、それはそれでめっぽう面白いことなのである。


# by leatong | 2017-09-13 12:40 | リートンな日々  

東京の日々はキラキラ?

東京に来てから日々の暮らしで驚いたことを書き留めていたのだが、

さすがに“東京留学生活”が4つ目の季節を迎えようとする今、
日常生活で驚くことは少なくなった。
ゴミ出しの曜日も覚え、満員電車の乗降の仕方もずいぶんと様になったと思う。

東京にやって来たばかりの頃抱いていた「発見と冒険に満ちた日々にドキドキ!」
みたいなキラキラの感想は少なくなり、
毎日は意外と地味で退屈なことの積み重ね、という現実に気が付いたり、
迷いやイライラがいつの間にか背中に張り付いて
重みを増していることにドキッとさせられたりもしている。


日常生活の面で新しい発見・驚きがあったとすれば、
とりあえず私の生活圏内には蚊がいないこと、
生ごみにたかるコバエに卒倒しそうになったことだ。
中国と違って、ゴミは自由に出せないのだ。
私が暮らすアパートには居住者専用のごみ置き場もないので、
区の決まりに従ってゴミを出す日時場所が決まっている。
燃えるゴミの日は週に二回あるのだが、これまで通りゆるくゴミを処理して、
回収の日まで大きなビニール袋の中に入れていたらあっという間にコバエが繁殖、
ビニール袋の中で飛ぶコバエの群を見つけた時はホラー映画の楊だと思った。
(その時になって初めてスーパーやドラッグストアで「コバエ取り」の存在を知った。)

しかし、それよりも何よりも驚いたのは湿度の高さだ。

十数年ぶりに過ごしてみた日本の夏は、
晴れていても雨が降っていても思った以上に湿度が高かった
!!! 
気が付くと、部屋のあちこちにカビが生えてしまった
(日本では靴にカビが生えるよという友人からの忠告を、
私は“まさか~”と完全に無視していた)。
縁側で惨めな気分になりながら靴に生えたカビの処理をし、
部屋中に給水グッズを張り巡らし、通販でスノコを購入して
湿気がたまりそうな押し入れに予防線を敷いた。
特に今年の(東京の)夏はカラリと晴れる日が少なかったから
仕方のないことなのかもしれないが、
秋になった今も毎日カビとの攻防を繰り広げている。

そんなカビに心までも浸食されたのか、
はたまた高い湿度に慣れないからか、気分が上がらなかった時もある。
そんな心が夏バテしたような時に限って、否、そんな時だからこそか、
「ホームシック」ならぬ「北京シック」が波のように押し寄せる。
無性に北京を懐かしく思ったことは一度や二度ではなかった(でも、三度くらいかな)。

いつまでもキラキラした毎日ではなく、時々へこたれたり疲れたり、
悔しさに狂うこともあるが、それでもわずかだが発見もあった。

それは「自分の能力がまだまだ全然足りていない」ということを客観視できたことだ。

北京にいたころは、さしたる才能もないのに「日本人」というだけで重宝がられる場面が多かった。
だからいつしか、組織の中で天狗になり「自分が法律」という無茶苦茶な理論を振り回していた私。
その裏でどれだけ周囲の人たちが譲歩してくれていたのかが、
今新しい環境の中に身を投じてみてようやく分かった。

私は北京でぬるま湯につかって完全にふやけてしまっていたのだ。

そもそも「ぬるま湯に浸かってるなぁ」と感じたからこそ
「環境を変えなければマズイ」と危機感を覚え、楽
で楽しい北京生活に距離を置く、という選択をした。


そうしてやって来た東京で打ちのめされることも多いけれど
(具体的に書くと愚痴になったり思い出してまたムカムカしてしまいそうなのでここでは避ける)、
自分に何が欠けているか、自分の何がよくなかったのかが見えたことは、
やっぱり東京生活での収穫だと思いたい。
天狗の鼻を一度へし折る経験が、今の私には必要だったのだろう。
そう客観視できたら少し楽になった。

なかなか頑固な私なので、余分なプライドを捨てることは、時間がかかるかもしれない。
でもプライドを脱ぎ捨てること自体が私にとってチャレンジだし、
それができれば大きく前進とまではいかなくても、すくなくとも後退はしないはず。


自分に足りない部分やできてない部分を補うようまた力をつけて、
「これでどうだ!私ってすごいじゃない!」と思いたい。

毎日が地味で退屈と感じるなら、まだまだ訪れていない東京のスポットを歩く。
東京には見るべきものも体験していないものも、まだまだたくさんある。

北京が恋しいなら、簡単なことだ。特に理由がなくても、
ちょっと気分転換にふらりと出かけてみればいいのだ。

今日はようやく秋晴れの天気が戻って来た。

お天気の力を借りて、うんと前進。
いつもと違う道を通って、新しい発見をしよう。


* * * * * * *

今日の投稿は心が夏バテした話になってしまったけれど、
これもまた私の日常。たまには、いいかな???



# by leatong | 2017-09-08 12:05 | リートンな日々  

この状況をあなたならどんな物語に仕立てるのかしら

中国でずっと気になっていた本を、このたび

夏休みで一時帰国した友達に買ってきてもらった。

日本人著者による、東京の本屋にフォーカスした散文集だ。

初版が2016年、2017年に2刷となっていて、売れ行きは悪くない。

本を包んだビニールカバー(*)には「最も売りたい本」

2016誠品書店 閲読職人大賞(←日本における本屋大賞みたいなものか?)」などの言葉が印字されたシールが貼られている。

私はこの逆のことをしたい、つまり、

北京の本屋さんについて日本語でまとめたい、と密かに考えている。

そうであるので(この本は“中国語”で“日本の本屋さん”を紹介しているとはいえ)、

同じような考えの書籍がすでに出版されていることに、正直私は

「ああ先を越されたなぁ」「私のやりたいこと、すでにしっかり実現しているなぁ」

など、羨望と軽い嫉妬が入り混じった、ちょっと複雑な心境になる。

それはさておき。

勝手に複雑な思いにかられながら、

それでも気になっていた本を実際に手に入れてみると、

それは想像以上に厚みがあり、ずっしりと重かった。

著者の本屋に対する想いそのもののようだった。

幸せが詰まった重みを感じながら

本を傷つけないようにビニールの包みと本の間に

ハサミをそっと差し込み滑らせる。

まっさらな本をパラパラとめくると、

本の中ほどから名刺くらいの大きさと厚みのあるカードが出てきた。

「おお、栞かな?」と思ったら、

挟まれていたのはカードサイズの領収書だった。

ネットで購入してもらったため、
正規版ではなく海賊版に当たることは覚悟の上だった。

しかし、領収書が挟まれていることから、

単なる海賊版ではなく、むしろ古本の可能性がある。

私も本を読むときにその辺にあるレシートなどを栞代わりに挟んでしまう。

この本の持ち主も、そうやって領収書を栞として挟んだのか。

読みたい本だったし、日本では手に入らないし、

コンディションは新品同様だったので、

この際、海賊版でも古本でもよかったのだが、

よくよく領収書を見てみると、ぎょっとした。

それは日本の書店の領収書だった。

しかも、どんな偶然なのか、購入者は著者と同じ名前の人物だった。

著者本人の所有物??まさかね、と思いながら、もう一度領収書を見てみる。

すると、購入日が、書籍が出版されるよりも以前の、2015年某月某日だった。

もしこの書籍が新品だったら、2017年に2刷りとなり、ビニールで包まれた本の間に

2015年の領収書が入り込む余地はない、と思う。

なので、この本はおそらく中古本の可能性がますます強くなった。

中古本を新品と偽ってネットで売る

中国人のたくましさに久々に触れたのだが、

それにしても、2015年に日本で日本人が購入した本の領収書が、

2016-17年に中国で出版された本の中に挟まって、

巡り巡って、日本に暮らすことになった日本人(私)の元にやって来るとはなんたる偶然。

ひょんなことで現れた一枚の領収書は、泣けるミステリー小説としてヒットし、

舞台化され、今秋には映画の公開も予定されている

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(東野圭吾/著)を私に思い出させた

(といいつつも、ストーリーの結末は忘れてしまったが)。

もし東野圭吾なら、この一枚の領収書から、

一体どのような物語を立ち上げるのだろうか。

そして私ならどんな物語を立ち上げようか。

たまには想像力を思いきり逞しくして、

小説でも書いてみるのもいいかもしれない。


この状況をあなたならどんな物語に仕立てるのかしら_b0328014_22500311.jpg


*中国の書籍は、傷まないように一冊一冊ビニールで包まれていることも多い。

手ずれしていな書籍が手に入るのは嬉しいのだが、書店では、ペラペラめくって内容を確認できないのが非常につらい。見本がない場合、ビニールを破って中身を確認してよいのか、謎。誰か教えてほしい。




# by leatong | 2017-08-01 22:53 | リートンな日々